管理人の戯れ言


2004.4.14
子供達
山陰で暮らし始めた長男から友達の家の急な用で仲間から連絡が入り、光に帰ってくるとメールが入った。
最近、高速バスを使うと安価な上便利だよと教えてあったのでバスを利用する気になっていた。
請われまま、時刻を調べ逐一携帯で連絡した。
22時過ぎる為、広島バスセンターから山口方面に便が無いので、広島バスセンターから広島駅に向うよう連絡。 新幹線を利用。徳山駅に家内が迎えに行った。 我家に着いたのは零時過ぎだった。
次の日、(今日)また戻っていったが、友達に心通わせている様を頼もしく、誇りに思った。

2004.5.12
今回、公民館の人事移動で今までの任を解かれ総務部兼潮音寺山(里山、ちょうじさんと発音する)の整備担当になった。
光市立浅江小学校に隣する潮音寺山は、光市の持ち山で児童は休間時間、昼休み等に元気溌剌と林間を走り回っている。
この山は我々の活動場所なのだが、我々の考える里山と子供の里山とは価値観が違う。子供達は、あまり山を弄って(いらって 方言?山口ではよく使う)欲しくないと考えている。だが今の潮音寺山は、ハイノキがはびこっていてミツバツツジのような花咲く 樹木等多様な植物が窮屈に育っている。
鬱蒼とした林ではなく地表に日光が差し込むようにしなくてはならない。 子供達の気持ちを大事にして、子供の心を持った大人が自分達の経験や知識で子供達と一緒に活動する場所、それが潮音寺山だと私は感じている。

2004.5.13
つまらない感情の高ぶりから、思わぬ小さないさかいがあり、気にしている夕飯時、「何をじろじろ見ているの」と二男より質問。そんな気は無かったのだが、弱気になると家族に目が行くのだろうか。

2004.06.06
私は生コン製造会社に勤めているが。最近コンクリートの事がマスコミに取り上げられることがあり、新聞、雑誌やテレビ等に注目するようになってきた。
先日、西口親雄著森林インストラクターを読んでいたら思いがけず 鉄筋コンクリートの単語が目に入り注目した。
木材の構造はセルロース、ヘミセルロース、リグニンが約30%づつで出来ており、セルロースが鉄筋、ヘミセルロースがセメント(接着材)、リグニンが砂にあたると記されていた。
セルロース(鉄筋)の回りをリグニン(砂、石も該当していそう。)が取り囲み、両者をヘミセルロース(セメント)が結びつけていると言うことでしょうか。
生コンクリートは水が使われ、セメントと水が結合して強度を発揮します。木材も水が必要です。
私は、木材の構造を鉄筋コンクリートに例えたことに興味を持ちました。コンクリートは水とセメントの比率が強度に大きく影響します。木材も水とヘミセルロースの比率(生の時、乾燥したとき、または水分を多く含む木、そうではない木)で硬さなどに影響があるのでしょうか。

2005.03.19
中央公論社発行武田百合子著 富士日記(上・中・下巻)を読み終えた。新聞記事で愛読していて夜中に目覚めたときなど、読み返して涙することも有るとあって、興味を持って買った本だった。富士山麓が舞台なのだが、地番はよく判らない。日記中には河口湖、富士吉田、浅間神社、鳴沢口の地名がよく出てくる。上九一色村も出てくるが、例の事件はずっと後だ。日記の登場人物は、前半は山荘の工事をしてくれる人が多いが、後半は大岡昇平氏が多い。
日記の最初の頃はご主人武田泰淳氏やご息女花さんの記述もあるが途中からはは殆ど百合子さんのものだ。朝・昼・夕の食事のメニューや買い物の支払いの内容が金額も記されていて成長期の日本経済の様子も伺え興味深い。
昭和39年7月から日記は始まり、昭和51年9月まで続く。私は昭和49年の富士山開きの頃富士五湖の一つ西湖に研修で滞在したことがある。朝から山芋(長芋)を食べた記憶があるが日記の中にも山芋はよく出てくるので、当地の特産なのだろう。 富士日記ではこの頃だけ記述が抜けていて残念だ。
日記は亡くなった頃に終わるが、この本の解説をされた水上勉氏も昨年亡くなられて寂しい。水上勉氏も我が家では氏の精進料理の本を読んで、ナスの蒸し物を息子二人と作り、楽しんだ夏もあった。
新聞の記事で涙して呼んだという部分は。愛犬ポコのことだろうか、ご主人の容態やその後のことだろうか、また行間から湧き上がってくる様々な事だろうかと、涙目になりながら何度も読み返し、やっと最後のページにたどり着いた。

2005.08.05
ニジガハマギクについて

私は、小学校3年生の2学期に柳井市立阿月小学校相の浦分校から光市立浅江小学校に転校した。水泳の時間は、校舎で着替えてそのまま海に向かった学校から潮音寺山という山など、これまた自然に恵まれた学校に生活の場は変わった。
そのころ、浅江小学校では現在の校章・校歌が定められた時期でデザインや詩の一節にニジガハマギクが使われた。児童の私たちは、ニジガハマギクは牧野富太郎博士が名をつけたこの地方の黄花のノギクだと知らされた。
牧野富太郎博士のことは知っていたので、この関わりは素晴らしいことだと思った。
このキクが世に出た由来は、光市史によると室積女子師範学校教諭であった池田美成氏からこのキクの見事な群落の存在を知らされた田代善太郎氏による実際の調査により、牧野博士の踏査となり、そのころこのキクの研究を進めていた下斗米直昌氏の研究結果を参考して、新種として発表されたことによる。(博士70歳)
このことは昭和7年の事であり、博士はこのころ広島文理科大学(現広島大学)で1週間内外の集中講義を行って居られた。
下斗米直昌氏は昭和4年に広島文理科大学創設とともに在任された遺伝学の先生です。先生は1931年(昭和6年)岩根又重氏より山口県の海岸にシマカンギクが夥しく生えているという報告を得、調査。新種とすべき意見を牧野博士に述べ、博士は虹ヶ浜駅(現光駅)付近及び三田尻付近の自生地で観察し、ニジガハマギクの名をこのキクに与えた。私たち(光市民)は、住んでいると慣れてしまいますが、虹ヶ浜の地名はこのキクとともに美しいもので、他の地域の方にうらやましがられています。
これからも晩秋に山陽本線沿いに群れ咲く虹ヶ浜の地名の付いたこのキクを誇りに思い大事に見守っていきたいと思っています。

2005.11.06
 この秋のテレビ番組にキノコを取り上げたものが多かった。首相官邸に毒キノコが発生したり、キノコ中毒の事故もあった。
特にバラエティー番組に良く取り上げられていた。視聴率に敏感で興味を持つものを良く知っている。
不自然な有名キノコのゲットシーンも見かけたが、微生物の一員としてのキノコを沢山の人が知る事はよい事だ。縦に裂けるキノコは食べられるなどのキノコの迷信を紹介したいたこともよい事だ。
キノコの食毒はキノコに詳しい人に聞かないといけないと言われていたが、キノコに詳しい人とは、どの程度の知識・経験の人かキノコの食毒同様に難しい事だろう。

2007.1.14
平成19年1月14日山口市でのキノコ観察会でのこと。
当然、この季節だからキノコの発生は少なく参加者と山道脇の切り通し面に僅かに発生していたナヨタケ属やクチベニタケを探していた。 シダを掻き上げたときキラと光るものを発見。もしやしたらと思ったら、近くの方がヒカリゴケだと教えてくださった。
自分で発光しているわけでなくダイヤモンドが光るように細胞の中に光を取り込み、それを反射させているそうだ。
帰って調べてみると本州中部以北に分布する一科一属のコケで絶滅危惧種に指定されている地区もある。今回は数株しか確認していないが写真では群生している。 なぜ山口県に生息しているのか興味の沸くところである。
ヒカリゴケといえば、私の愛読書、富士日記の武田泰淳氏の戯曲がある。 おどろおどろとした内容でオペラにもなったような記憶がある。場所は北海道でこのコケの分布とも一致する。 シダを掻き上げてキラとしたものを見つけたとき最初に思ったことは氏の名前であった。

2007.2.22
マンリョウ
近所の里山、潮音寺山に寒さが増してくる頃、樹木の根際にマンリョウ(万両)の赤い実が目に付くようになります。濃い緑の葉はやや厚め、葉の縁は波打っていて、その葉の間から艶やかな実をみせています。
 潮音寺山の整備では足元を確認しながら作業しますのでその姿に気づくことが多いのです。
 マンリョウは小鳥に運んだものが住宅地に育っていることも珍しくなく人々に愛されている植物です。園芸品種には白い実のもの、葉の縮れたもの、斑入りのものがあります。
 ところで、万両のほか、千両、百両、十両と呼ばれているよく似た名の植物があります。 いずれも赤い実が基本で、千両は正月によく使われ、百両はカラタチバナと呼ばれ、やはり正月の縁起物、十両はヤブコウジと呼ばれ、小さな可愛い姿が万葉集にも歌われたように愛され潮音寺山でもよく見られます。この中で千両だけはセンリョウ科に分類されその実は葉より上部に付き、万両、百両、十両はヤブコウジ科で葉の下の方に付きます。
 縁起の良い記が潮音寺山にたくさん育っているので、名札を付けるなどして親しみ今後の活動に生かしたいと思っています。

2007.6.14
家庭や公園に植えられている花と野の花の違い。
例年の行事となってきた浅江小学校の児童と当地の地名の付いた野菊、ニジガハマギクの挿し芽の実習に参加した。
今年は児童に家庭や公園に植えられている花と野の花の違いをニジガハマギクを例にして話をさせてもらった。
花壇などでは雑草はきれいに抜かれ地面が乾燥しやすい。水をかけてやり肥料や農薬も使っている。
それに比べ野の植物は他の植物と一緒に育ち、地面には落ち葉、枯れた小枝などが覆っている。それらが乾燥を防ぎ微生物や小動物の力を借りて腐さり肥料にもなっている。
肥料も農薬も使ってないが、元気に育っていることをお話させてもらった。
花壇は地面が普通平らだが、山では傾斜が付いているのでむき出しの地面では雨が降ると土が流れてしまうこともあると話した。
子供は学校や家庭の花壇などで様々のことを学習するがそれ以外の場所で沢山のことが営まれている。そのことを僅かでも知ってもらえたかなと感じた一日であった。
最後に当校の児童は行事の最後の挨拶のとき、言われなくとも列の横方向にいた地区のお手伝いの大人に向きを変えて例の言葉とお辞儀をした。
形ばかりの挨拶をすることもある我々にとって清涼感のある光景であった。

2008.3.30
最近思うこと
長男が大学を卒業して就職した。最初の勤務地は大阪であるが、地元での就職は夫婦ともこだわっていなかったのでただただ嬉しい。なにが起こるか判らない社会、見えない先行きの中で頑張って欲しい。幸運に恵まれて欲しい。
二男は大学2年生今年からキャンパスが変わり、先週引越しをした。雨の中を他に日が取れないので強行した。勉学、部活と青春を大事に過ごして欲しい。
近くにいないので心配することも多いが、いちいち気にすることが無く助かっている一面もある。
その点近くにいる長女が孫を連れてきてくれるのは嬉しい。孫の可愛さを語る人は多いいが本当だ。つかまり立ちをしている状態だが、人の顔を見てヘラーと笑っている仕草は見るジイ様バー様にとって至高の喜びだ。無事に成長してくれることを願っているこの頃だ。

2008.5.10
玄関の花
珍しいことである。我が家には花を飾る習慣がないのだが、数日前姪の結婚式でテーブルの花を頂いて帰った。その後 長男から母の日のプレゼントとしてカーネーションが送られてきた。妻は自分への贈り物だから自室へ飾ればいいもを玄関に飾った。 そして今日私の定年退職の会があり記念に花束を頂き、どこに置こうかと考えたが玄関に飾った。
いままで殺風景だった我が家の玄関が一気に明るくなった。玄関には最近可愛さを増し掴まり立ちができるようになった孫の写真も2幅飾ってあり、人の訪れが楽しみになりそうである。

2008.6.28
定年
6月29日が私の誕生日である。わが社は60歳の誕生日が定年となっている。継続してこの仕事を続けるが有給休暇は消滅してしまうので今月は仕事に殆ど行ってない。働き始めてからこんなに休暇を取ったのは初めてだ。貴重な体験を今している。これからの生活のパターンを考える良い機会ともなっている。
楽しみながら仕事を続けたい。今まで出来なかったこと、それは仕事を休めなかったから出来なかったということが沢山ある。 その出来なかったことを実現したいと考えている。

2008.9.20
北海道旅行
念願の北海道に旅した。
若い頃は旅行が趣味でよく出かけたものだが年齢を重ねると休日と資金がままならず満たされない気持ちを引きずっていた。定年を迎えるころ、あることで地元新聞の取材を受け定年後のしたいことを問われた。北海道に行きたいと答えたのだが、定年延長して働いていたので実現できずにいた。どうでも実現させようと旅行社に問い合わせ仕事の都合、積雪のことを考え9月17日から3日間のツアーに参加することにした。
子供たちに旅行ケース、衣類などを買ってもらい心弾ませ出発した。早朝4時に光駅前で貸し切りバスに乗車。色々なコースの人と一緒になる。福岡空港で添乗員の方に会い20年近く乗ったことのない飛行機搭乗の手続きをした。このとき雨が降っていたが飛行途中から帰着まで好天に恵まれた旅だった。チャーター機で道東中標津空港に到着、セーターを用意していたが暑いほどで半袖で十分。
バスで途中何箇所か回ったが旅の目的の一つ知床半島に入る。山口で見ることのない景観、樹木などを車窓から楽しむ。一人での申込だったので隣の座席は全行程空席だった。衣類、カメラなど隣の席が自由に使え楽だった。極寒の知床を想像しながら、車内や下車しての羅臼岳など撮影をも楽しんだ。夕焼けに染まりつつバスはウトロ温泉の宿舎に到着。部屋も一人なので自由に使え快適。温泉に入浴後食事、一人での参加は 3名だったが一緒の席だった。
翌日は摩周湖、阿寒湖などを巡った。摩周湖は快晴で楽しめた。阿寒湖では昼食後時間が取れキノコ撮影まで出来良い思い出となる。娘に約束のマリモッコリーの携帯ストラップを買った。泊まりは十勝幕別温泉。茶色の泥炭地から湧き出た温泉で貴重な体験。小学校の修学旅行と一緒になり部屋が近くだったメンバーは煩わしかったようだ。
翌日はもう帰る日、夕張を経由して新千歳空港に向かう。家族以外告げずの出発だったので友人・親戚を驚かせようと土産を買い宅急便で送った。自分では奮発したつもりの金額にした。新千歳空港では集合場所を間違えドキドキしたが無事機上の人となる。帰りは窓側の席だったので洞爺湖などが見えた。
福岡空港からまた車で光まで送ってもらい念願の北海道旅行は無事終了した。のどかな雰囲気でロマンを感じた吉備路の旅とともにいつまでも印象に残る思い出となることでしょう。

2009.4.26
孫桜抜け殻の布団見下ろせり
4月5日に二人目の孫が生まれた。出産前後上の孫を預かり一緒の布団で寝ていた。母親のいないことも態度に出さず健気だった。赤ちゃんは今日まで我が家にいたのだがその間上の孫と買い物に出かけたり、近所の満開の桜の下で遊具で遊んだりした。
今日孫たちは自分の家に帰った。私の部屋には昼寝をした上の孫の布団の抜け殻しか残っていない。
当り前のことだからしかたないなア。

2009.10.30
最近製造業は技術が進み新しい設備、システムが開発されている。設備投資を積極的に行えばより良い製品を出荷できるのだがそれには資金が必要だ。
よい製品を出荷すればシェアが増える会社ばかりではない。 そのため計画・推進した人、生産に関わる人の収入が停滞・減少するという皮肉なことも起きている。
製造業は色々な法律、基準を守らなければならない。この法律、基準は東京など大都会で作成される。 大都市の状況が反映されている。大きな経済力を持つ大都市の企業では資金の捻出が可能でも地方の企業では困難なことも多い。
新しい法律・基準は技術的に認められているが、新しい設備の設置を義務付けられると負担が実際に働いている従業員の収入や福祉面に影響を及ぼしかねない。
法律・基準の改正には官僚、学者が関わっていて、その人の強い主張が取り込まれることがある。言われることは正論であり、反論できないことも多い
。 しかし現実を踏まえた心のある法律・基準を作ってもらいたいものだ。

2009.12.10
当地光市は温暖な地で紅葉・黄葉は秋よりも初冬の風物詩である。
また冷え込みが少ないせいかモミジは真っ赤に紅葉することなく葉が枯れたような状態になることが多い。
近隣下松市の山間ではすばらしい紅葉が見られるので何時も羨ましく思っていた。
ところが今年は例年になく色鮮やかな紅葉が光市でも見られた。イチョウも黄色味の深さがまるで違う。いままでと別のイチョウを見ているような気がする。
 光市の紅葉の代表は柿とハゼである。山の紅葉は殆どハゼである。皮膚に炎症を起こし嫌われる樹木だが、和ロウソクの原料になったり盆栽愛好家に寄せ植えの紅葉を楽しまれたりしている。
柿の紅葉は葉の変化が面白い。病気の後や葉の傷の周りの濃淡の変化が面白い。
黄葉ではイチョウのほかクズを多く見かける。もともと旺盛な勢力を誇って繁殖していたが今年は特に勢いが増した。崖地の法面など大木にまで絡み付いて生態系を乱しているといってもよい。それが黄葉しているのだからいやでも目に付く。 しかし寒さが増すと枝から一枚一枚落ちていく。 冬の寒さを感じたり夏の青々をした勢いを感じたりするから紅葉・黄葉に感動を覚えるのかもしれない。

2011.05.03
私は生コン工場の技術者ですが、来月でこの業界からいなくなります。
年金生活者として生活しますが、体は健康なので色々な活動に頑張ります。
生コン業界には生コン工業組合という組織があって、2年ごとに東京で生コン技術大会という論文発表の機会を与えて頂ける行事を持っています。
今回私どもが所属する山口県周南地区に論文発表の機会が頂け、共同研究の発表者として私が登壇することになりました。
ひずみゲージを用いた簡易乾燥収縮試験方法という内容で論文は仲間のK氏、プレゼンテーションはK氏とM氏により出来上がりました。
多くの方々のアドバイスを受けてお話しする内容の改良を重ねて、共同研究者とともに東京に向かいました。
4月26日が大会開催日ですが、前日共同研究者とともに、会場の下見に出かけパソコンの操作などを事前チェックしました。
当日の9時から発表が始まり最終発表者が私で17時という時間に発表しました。
出来るだけ会場の皆さまのお顔を見ながら話そうという意向はある程度達成できたと思いますが、このような経験は、初めてなのでいくつかのミスも有りました。
発表後の安堵感は至福であり、この業界から去る私にこのような大きなチャンスを与えてくださった仲間たちに感謝の気持ちでいっぱいになりました。

2011.06.16
今月末で退社することになり、有給休暇消化のため殆ど会社に行っていない。
今まで家庭菜園など手が廻らなかったことが多かったので良い機会と動き回っている。
家庭菜園で作業していると不思議な気持ちになった。自分は仕事をしていたのだろうかと感じてしまった。
私を長く包んでいた環境の呪縛から一気に開放感を感じた。
今後感情の変化もあると思うが現在の心境である。

2011.09.20
6月29日の63歳の誕生日をもって退職した。
月に10日、午前中のみのパートをしているが、自由な時間が一気に増えた。
パートの日は6時過ぎに起きて7時頃には職場にいる。8時からの勤務だが、前職での習慣やまだ不慣れなための早めの準備のためだ。
パートのない日は8時頃に起きて特別な様がないと家庭菜園に向かう。7月、8月は今年も余りに暑いので正午前後は帰宅している。それでも熱中症になり、病院で点滴を受けてしまった。蟻に噛まれて皮膚科にかかったたりと病院と縁が出来てしまった。
菜園や地区の行事が無く家にいてふと感じることがある。
高校生の夏休みの頃の誰にも干渉されない間延びした時間を思いだしてしまう。
これも一種の幸福なのだろうかと思う最近である。

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